気まぐれ日記 05年12月

05年11月はここ

12月1日(木)「書評『信長が宿敵 本願寺顕如』・・・の風さん」
 ついこの間、鈴木輝一郎さんから送ってもらった新刊『信長が宿敵 本願寺顕如』(毎日新聞社刊)を読み終えた。これはかなりの傑作だと思った。面白いと思う要素がふんだんに盛り込まれている。
 なかなか人物像がはっきりしない織田信長であるが、この作品は浄土真宗石山本願寺の門跡顕如を主人公とすることで、信長はもとより戦国時代を宗教という視点で浮かび上がらせてくれる。
 かつて新鷹会の先輩で今は亡き武田八洲満先生は、戦国時代を農民の視点から描いて秀抜な作品を残した。侍が戦っているようなイメージのある戦国時代が、実は主戦力は農民であり、農繁期には戦ができず、農閑期を選んで戦いが続けられたことや、侍たちの国盗り物語が農民にとっていかに迷惑なことだったかを活写した。
 鈴木輝一郎さんの『信長が宿敵 本願寺顕如』では、さらに宗教という鮮烈な視点を加えて、下克上でいくらでも勢力地図の変わる戦国時代でも、地域に根ざす信仰はおいそれと塗り替えられるものではないことを教えてくれる。だから、織田信長率いる大軍が石山本願寺を包囲しても、最前線の浄土真宗を信じる兵卒たちは、長槍を無気力に振り回すだけで、意気が上がらないといったことになる。また、門跡の顕如が前線に進み出て正信偈(しょうしんげ)を唱えると、敵方の徒士足軽たちまでが一斉に暗誦を始めるのである。
 織田信長が何となく小泉純一郎首相と、鉄砲で世渡りをする雑賀(さいか)の棟梁、鈴木孫一が鈴木輝一郎さん本人とフラッシュバックするイタズラも笑えるし、顕如とその妻りく、長男教如の関係が、わたしたち現代中高年父親族の象徴を見せつけてくれて、なんとも正視に耐えられない(笑)。

12月2日(金)「artbox nagoya 2005・・・の風さん」
 先週来の喉の痛みがおさまらず、火曜日に会社を休んで病院に行った。そのついで(?)というわけではないが、毎年この時期に開催されている竹中工務店の artbox nagoya を見学してきた。
 建築会社の設計者たちが自由なアートを競う文化祭みたいなものだ。たまたま知り合ったAさんという方が設計におられ、10年近い前に案内状をもらって出かけた時からはまってしまった。わずか30cm四方の空間に展開するアートがとても魅力的なのである。
 そのAさんとは、ほぼ毎年のように見学に出かけても、一度も再会することがなかった。
 それが、今年、偶然、会場で出会ったのである。
 ところが、久しぶりの会話は、Aさんの「舌癌であやうく舌を失うところでした」という衝撃的な告白から始まった。
 幸いセカンドオピニオンで良い病院良い医者とめぐり合うことができ、現在は、放射線治療でめざましい治療効果が得られているという。
 毎年、他の人の作品にも目が行く私だが、今年だけは、このAさんの作品にしか目が行かなかった。
 以下、わたしが帰宅してからAさんへ送った感想メールである。

  会えて懐かしかった、うれしかった。
  でも、病気の話は衝撃でした。

  おかげで、今日の展示は、**さん(Aさんのこと)の作品しか
 目に入りませんでした。

   導光板として使われるガラスの効果を狙った
  作品が多かったですね。導光効果を使うのは厚い板ガラスから
  ガラスファイバーまでありますが、今回は比較的厚い素材。

  「生命」
   台から2つの明かり(父と母でしょうか)を得て、
   円形に切られたガラスが光を紡いでいく様が
   正面やや上方から眺めると、生命の連鎖を
   イメージしてしまいます。

  「感謝」
   人は一人では生きて行けません。
   誰にも感謝したい人はいる筈です。
   「父」と「母」と「妻」とか
   「妻」と「子供たち」とか
   「親」と「恩師」と「友人」とか
   感謝は感謝の気持ちを次々に生み出すことを教えてくれます。

  「祈り」
   寄せては返す波のような光のうねり
   山の斜面をはい上がる風のような
   光が奏でる不思議な音楽が聞こえてきます。

 「祈り」のところのカードにAさんの文章が書かれてあった。
 詩のようだが、Aさんは独り言だという。
 以下に紹介したい。

   光 生命を育むもの 90秒の物語

   私の 心の中に 空がある。
   そこは、 風が吹き、 雲が流れる。
   青空は 光の中で輝き、 風は 感謝の心を運んでくる。
   私の 生命の物語が 動きはじめる。


 今回の作品展の共通テーマは「風(FU)」。
 Aさんは企画書の中で、小説家鳴海風を特別審査委員に選ぼうとしていたが、突然の病名宣告を受けて入院することになり、その思いは実現することができなかったのだという。とてもありがたい話ではあるが、Aさんの病が1日も早く完治することを祈るだけである。

12月3日(土)「薬で体をだましながらの執筆・・・の風さん」
 実は昨日も体調が思わしくなく、会社の診療所に行って医者に診てもらった。
 抗生物質を使っていることを話したら、そろそろ効かなくなってきている心配があるとのことで、別の抗生物質をもらった。この週末で、取り組み中の長編の第3稿を書き上げて、出版社まで送付しなければならない。薬でコントロールしながらの苦しい執筆になる。
 今日は第2章と第3章の手直しで1日が終わった。就寝は午前2時ころである。

12月4日(日)「健康ハイキングに行っても執筆を忘れるわけにはいかないの巻」
 次女の通う中学校のPTA役員をやっている関係で、地域の健康ハイキングに駆り出された。
 昨夜の就寝は午前2時。普通なら昼近くまで寝ていたい日曜日ではある。午前7時過ぎに起きた。日本列島が冬型の気圧配置に近付いているらしく、朝から寒い。普段は、上も下も2枚ずつしか服を着ていない。しかし、さすがにそれでは寒かろうと、上だけ3枚にして階下へ降りていったら、「あなた、死ぬ気?」とワイフにたしなめられた。さらに上に1枚着込むことにした。
 ミッシェルで小学校まで行き、出欠を確認後、8時半に出発。約150名近い参加である。昨年も自治会の役員をしていた関係で、この健康ハイキングには参加した。
 今回のコースは約8km。ここへ越して来て以来、ハイキングにはかなり参加していたが、今日のコースは初めての部分が多い。空はどんよりと曇っていて、歩き出しても寒い。他の参加者をチェックすると傘を持っている人も多かった。しかし、子供らの中には、上が半そでTシャツで、下が半ズボンというのもいた。しばらく歩くと、右のかかとの辺りが痛くなってきた。運動不足だからなあ。途中、展望台から伊勢湾に浮かぶセントレア空港を眺めたりしたが、寒かった。
 全体の3分の2を歩いたところで、酒造会社が経営するレストランで休憩した。試飲ができ、おでんも配られた。今回のコースの最大の目玉。豆腐とこんにゃくを串に刺して味噌をつけたものだ。これが実に美味かった。タダでは申し訳ない気がしたので、純米吟醸酒を1本購入した。
 外へ出ると、雨が降り出していた。傘を持ってこなかった私は、ひたすらゴールを目指した。
 スタート地点のゴールに戻ると、大学の駅伝の中継地点になっていて、若者らが激走していた。すらりと伸びた足の長い選手たちが次々に走り出していく。日本人の活躍が国際的になってくるわけだ。
 午前11時半頃帰宅したが、少し体を休める必要があった。読みかけの翻訳ミステリーを読みながらコーヒータイムにし、チキンラーメンで昼食にした後、書斎にこもった。
 夕方までに第四章以降のラフ手直しをし、その後は、とにかく細部にこだわらず大きな修正を必要とするところだけを、リラックスして修正していった。午後10時からは、印刷しながらの修正作業に入り、結局、荷造りや出版社へのファックス送信など含めてすべて終了したのは午前1時ころだった。第3稿は、本文が約608枚となった。第2稿よりも少し増えた。
 入浴し、焼酎を1杯だけ飲み、また翻訳ミステリの続きを読んで、午前2時半ころに就寝した。
 なーんだ。やればできるんじゃん。

12月5日(月)「伊勢湾を越えて鈴鹿山脈まで遠望・・・の風さん」
 少々寝不足だったが、とりあえず第3稿を書き上げた達成感で、元気良く会社に出勤である。
 しかし、朝から厳しい冷え込みだ。さすがに氷点下までは落ちていないが、寒い。空気も異常なほど乾燥していて、大気が澄んでいる。ミッシェルで快走していて、やや高度のあるところへ来た。ここからは左手に伊勢湾が眺められる絶景の地点だ。ところが今朝は、異常な空気の乾燥もあって、伊勢湾を越えた三重県までが遠望できる。鈴鹿山脈の御在所岳などがすぐ近くに屏風のように見えた。
 比較的早く退社できた。やや遠回りしてイベントをやっているガソリンスタンドでミッシェルに給油した。景品は「切り餅」。燃費も冬だから10km/Lを超えた。
 しばらく気まぐれ日記の更新ができなかったので、まとめて4日分を書き上げ、トップページもリニューアルした。まとめてやると時間がかかる。
 それから明日が締め切りの日本推理作家協会会報用のハガキ随想を書き上げ、電子メールで送信するとともにハガキにも印刷した。これは明日投函する。
 またまた、就寝前に焼酎を1杯飲み、翻訳ミステリの続きを読んで、午前2時半ころに就寝した。
 充実した1日だった気がする。

12月6日(火)「寝不足でダウン・・・の風さん」
 昨日ほどではなかったが、今朝もかなり冷え込んだ。空気の乾燥程度も昨日ほどでなく、鈴鹿山脈はぼんやりとしか見えなかった。水蒸気がいかに視界を遮るものかという良い証拠だ。
 最近寝不足が続いているので、会社でも眠たかった・・・が、超多忙だったので、何とか眠りに落ちることなく1日が終わった(笑)。
 会社の1日が終わると、小説家としての1日が始まる。
 しかし、今日は眠たくてあまり仕事にならなかった。画像データの取り込みや、今後のスケジュール立案などでどんどん時間が経過してしまい、さっさと寝ることにした。就寝前の読書もペースが上がらず、午前1時半にダウン。

12月7日(水)「問題の石油温風ヒーターが当たり・・・の風さん」
 朝食を摂りながら朝刊のトップを読んでいたら、大手電器会社であるM社の石油温風ヒーターのことがデカデカと出ていた。我が家にもM社の石油温風ヒーターが2台あるのだが、関係ないと思っていた。ところが、対象となる製造時期が、ずばり該当することが分かって、少し驚いた。
 「おい。大変だ。うちの石油温風ヒーターが該当するぜ」
 「どっちの石油温風ヒーター?」
 「お前がトールペインティングやっている庭のログキャビンの中のヤツ」
 「えー?」
 もう1台は母屋のLDKに設置してある。クールトップで50Lの石油タンクは屋外だ。
 「気をつけないと死ぬぞ。電器屋に電話しておいてくれ」
 私はワイフに伝えて出社した。気持ちは、5万円もらって新品と買い替えようとのんきに考えていた。
 やや遅く帰宅したら、事態は変わっていた。
 「問題の石油温風ヒーターは、ログキャビンのじゃなくて、ここにあるヤツよ」
 今度は、私が、
 「えー?」
 と叫ぶ番だった。
 「しばらく使用しないでくださいって」
 「そ、そんな・・・」
 先週、エアコンを買い替えたばかりで、新品のエアコンがしっかり温風を吐き出していた。それもM社製。
 「しかし、ひどいよな。これって、修理しに来たヤツだぜ。うちに問題の石油温風ヒーターがあることは分かっているのに、何の連絡もないなんて・・・。こっちは新聞読んで初めて気がついたのだから」
 「まあ、そう怒らないで。リコール対象のヒーターは当たるし、買い替えたばかりのエアコンが役に立つし、きっとこれからいいことあるわよ。宝くじでも買いましょ。年末ジャンボ。あなたのお金で」
 「それもそうだな・・・。おい、なんで俺の金なんだ?」

12月8日(木)「平穏な1日の出来事・・・の風さん」
 夕べやっと海外翻訳ミステリを読み終えた。1931年の作品で、密室殺人事件の古典である。結局、トリックは子供だましだった。描写も冗長で、退屈。しかし、今から74年も前の作品なのだから、仕方ない。それだけ、ミステリも進歩しているということだろう。
 会社の仕事は相変わらずの超多忙で、あっという間に1日が終わってしまった。
 帰宅時、ミッシェルの前方が何となく暗いなあ、と首を傾げながら運転していたら、前走車の後部ボデーに反射するミッシェルのライトが一つしか光っていなかった。なんと、右のヘッドランプの球が切れていた。えー? ついこの間も片目が切れて交換したはずなのに・・・。前回はどっちの目玉だったろう。
 家に着いて居間へ入るなり、次女から、「ケータイ返してもらったからね」だって! テーブルの上の成績表をチェックしてみると、確かに、前回よりアップしている。しかし、過去最高というわけではない。アップダウンを繰り返していれば、結局、ケータイは行ったり来たり、成績も突き抜けるほど上がらないまま受験の年が終わってしまう。騙されている気がする。今度はこう言ってやろう。「ずーっと、ケータイ取り上げておけば、成績はずーっと上がり続けるんじゃないか?」とね。
 今度は、ワイフ。「シルバーさんが来て、庭木の剪定をしてくれたのだけど、1日仕事で、こっちが恥ずかしくなるくらいたくさんの剪定と落ち葉拾い、除草などをしてくれたわ」そりゃそうだ。私が庭の手入れができるようになる日は永遠に来ないだろう。
 だんだん今年も残り少なくなってきたな。

12月9日(金)「出張タイムスケジュール・・・の風さん」
 最寄の駅までワイフに車で送ってもらい、7時23分発の名鉄特急で出発。名鉄名古屋8時7分着。
 狙っていたのぞみ40号の指定席が取れなかったので、自由席に並ぶ。名古屋発8時24分。新横浜9時47分着。
 横浜市営地下鉄に乗り換えて、9時57分発、桜木町10時12分着。
 パシフィコ横浜まで歩く歩く。仕事。
 昼食はマックバリューセット500円。
 JR京浜東北・根岸線快速に乗車、桜木町発13時18分、東京着13時58分。
 JR京葉線快速に乗り換える。14時7分発、海浜幕張14時38分着。
 幕張メッセまで歩く。仕事。
 帰りは、JR京葉線快速、17時13分発、東京駅17時43分着。
 いったん改札口から出て、某社と打ち合わせ。
 帰りののぞみ153号に乗車。東京19時46分発、名古屋21時26分着。
 名鉄特急21時45分発、最寄の駅22時31分着。ワイフの迎え。
 先週の健康ハイキングを思い出すような出張だった。万歩計で確認したら面白かったかも。とはいえ、きっとトレーニングになったろう。会社の仕事で体を鍛えて、その体力で、作家として活動する。なんのこっちゃ(笑)。

12月11日(日)「大好きZhang Ziyi・・・の風さん」
 昨日から風が強く、寒い。相変わらずM社から連絡がないので、石油温風ヒーターが使えない。広い部屋をエアコンだけで暖めている。
 昨日は、一昨日の歩け歩け出張の後遺症で、終日、疲労感が抜けなかった。結局、夕食の後ダウンして、やっと今朝の1時半に書斎の床で目が覚めた(笑)。
 それから、ナント、ワイフの手伝いを午前3時までやって、やっとそれから執筆作業に着手できた。短編の手直しである。それが終わったのが午前10時。それから入浴、遅い朝食と済ませ、午後からワイフと映画を観に名古屋まで出かけた。ぼくの大好きなZhang Ziyiの「SAYURI」である。
 良かった〜。泣けた。長編小説の重要なヒントを得た。実行は難しいけれども。
 架空の日本が舞台で、とても日本そのものではないけれど、そんなことはどうでもいい気がした。立派なラブストーリーである。Zhang Ziyiが良い作品と出会えて、ファンであるぼくもうれしい。
 しかし、やや骨格の立派なZhang Ziyiに日本の着物は似合わないな。肩がなで肩ならいいのだけど、彼女はどちらかというといかり肩で、肩幅も広いからな。でも、いいんだ。可愛いから。
 子役の子も良かった。熱演していた。
 DVDも買おう。ぼくの残りの人生はZhang Ziyiの応援だけでいい(笑)。こりゃ病気だね。

12月13日(火)「忙中寒(?)あり・・・の風さん」
 連日寒い日が続いている。昨日の天気予報では、当地では降雪になりそうだった。ワイフの会社勤務時代の友人たちが拙宅に集まる予定だったのが、悪天候を心配して、昨日中止になっていた。日曜日の未明のワイフの手伝いも、この友人歓待の準備の一環で、毎日、今日のために掃除やら片付けものやら忙しく働いていたワイフは、昨日の中止決定でひどくがっかりしていた。はたで見ていても気の毒だった。
 それなら、今日は、ケアをしてあげるために帰りにケーキでも買って帰ろうと、朝出社時点で思っていたが、帰る頃にはけろっと忘れていた。
 帰宅したが、相変わらず一階が寒い。石油温風ヒーターが休止中なので、エアコン1台の稼動だけでは暖房能力は不十分である。欠陥が問題となったM社からは、5万円で引き取りか、あるいは無料で再点検か、選択を迫られている。購入して既に14年ほどになるので、今回は引き取ってもらって、新機種に更新することに決めた。しかし、工事含めてやることがたくさんあり、年内は無理かもしれない。
 結局、今日は雪が降らなかったので、「残念だったね」とケーキ代わりの慰めの言葉をかけたら、ワイフいわく「天気が良さそうだったので、連絡したら、二人来てくれた」とのこと。やれやれ、良かった。
 書斎がようやく暖まってきたので、そろそろ執筆開始しよう。

12月15日(木)「14313歩の効果は?・・・の風さん」
 日本列島が冷え込んでいる。夏の猛暑が嘘のようだ。今日は寒い東京へ出張の日である。
 先週と同様に移動がけっこう頻繁にある。そのすべてをここに書いているヒマはないので、ところどころ省略しながら追っていこう。先ず、最寄の駅を出発したのは、7時37分だった。けっこう早い。
 一気に跳んで、新橋の某社を訪問した。新橋といえば、以前徳間書店があったが、大門へ移ってしまった。来年は徳間書店と仕事をしたいと考えている。おっと、会社の仕事で出張していたのだった。
 ヴィドフランスで軽く昼食。東京駅を経由してホテルにチェックイン後、また一気に跳んで、西池袋へ。長い会議に出席し、夜は懇親会。優秀な経営者の意見に耳を傾け、けっこう勉強になった。再びホテルへ戻り、酔いを醒ました後、着替えて再度出発。新宿駅の本屋でどんな本が並んでいるか調査。新鷹会の中原洋一さんの『煙と手錠』(祥伝社文庫)を発見。恐らく初めての出版。つまり処女出版。うれしくなった。あと、文庫コーナーを眺めてみると、意外と時代小説が多い。知らない作家もたくさんいる。来年は、光文社文庫で新鷹会作家の時代小説アンソロジーが出る。私の作品も収録される予定で、今から楽しみだ。しかし、これだけたくさんの時代小説文庫を見ていると、自分も出さなければいけないか、と思ってしまう。・・・が、思いとどまった。売ることよりも、図書館に長く収蔵される作品を目指しているのだった。
 今日は出張のため、新鷹会の勉強会も恒例の忘年会も欠席した。しかし、2次会には合流するつもりだった。たいてい2次会は新宿駅周辺なので、新宿まで出てきたのである。
 黄金の蔵という店で合流できた。仲間はほとんど出来上がっていて、何とも騒々しい2次会だった。今日の勉強会には作品の持ち込みもなく、忘年会も少し低調だったらしいが、2次会は賑やかだった。これが11時過ぎまで続いて、お開きとなった。昔はこの後も、3次会へ流れたものだ。
 ホテルへ戻り、ホテルのパソコンでインターネットにつないでみたが、特に興味をそそる事件はなかった。
 実は、今日は久しぶりに万歩計を装着していて、外してみたら「14313歩」になっていた。上京すると健康ハイキングと同じ効果がある。
 寒い1日だったが、風邪はぶり返すことはなさそうだ。

12月16日(金)「紅さんの義士伝は来年のお楽しみ・・・の風さん」
 今日は計画有休。昨日が出張だったので、交通費が浮くという見事な(?)作戦だ。ここ2年間、著書の出版がないので、活動資金は底をついている。わびしい小説家というわけだ。
 地下鉄で御茶ノ水まで出た。
 昼前に近くの出版社に勤務する友人と会って、知人の自費出版に関する打ち合わせをした。
 昼からは、取り組み中の長編・・・第3稿を送ってあった・・・について、出版社と打ち合わせをした。やはりまだドラマとして不十分ということで、第4稿を提出することになった。冬期休暇もあるが、ハードルが高いので、1ヶ月半もらった。出版時期はどんどん遠ざかっていく。活動資金も乏しいが、才能も乏しい。体力も低下してきていて、頼るのは気力だけである。やれやれ。
 打ち合わせは2時間ほどで終わった。
 実は、今夜は、池袋演芸場で神田紅さんの年末恒例「義士伝」を拝聴する予定で、最終の新幹線の切符も買ってあったのだが、そんな場合ではないと反省し、急遽帰宅することにした。
 最も短時間で帰宅するために、御茶ノ水駅を午後2時30分過ぎに出発し、のぞみも自由席に乗り、名鉄特急とつないで、午後5時30分過ぎに拙宅へたどり着いた。
 慌しい1日(半日かな)だった。家で万歩計を外したら「6000歩」に満たなかった。
 書斎でパソコンを立ち上げたら30通を越えるメールが来ていて、ウィルスメールもたくさんあった。

12月17日(土)「農耕民族と狩猟民族の発想の違い・・・の風さん」
 寒いなあ、と思いつつ、普段通りに起床した。
 午前中は、新鷹会関連の自費出版の手伝いのための仕事をした。長い手紙を書き、見本を同封したコンビニから「ゆうパック」で送った。クロネコなら640円のサイズなのに、少し小さく折りたたんだだけで600円になった。これは政治的な陰謀で、宅配への嫌がらせである。確かに消費者にとってはメリットがあるが、フェアな戦いでない。業者を変更してしまうコンビニの態度も気に入らないが、多忙な私としては、微妙な使い分けをしている余裕はないのだ。クロネコさん、ごめんなさい。
 浅田真央ちゃんがとうとう優勝した。すごい、としか言いようがない。プレッシャーに強いというか、実力を出し切れるだけ、人間ができているのだろう。
 さて、来年のオリンピック出場の話だ。日本の連盟は「ルールはルールだ」と! 笑ってしまう。ルールを守ることよりも、そのルールの精神を考えてみるべきだろう。彼女の場合、だいたいもうおとなの身体になっていて、おとなと同じ演技が立派にできるのだから、健康上のことを心配する必要はないのだから、杓子定規に誕生からの年数を数える必要はあるまい。特別許可を申請すればいいのだ。
 たとえば、4年後に、欧米で15歳に満たない天才スケーターが出てくれば、欧米では躊躇なく、特別許可申請するだろう。農耕民族の日本人は、「ルールは永遠だ」と思い勝ちである。同じことが今後もずーっと続くという前提でものごとを考え勝ちである。しかし、狩猟民族の欧米人は違う。目的(金メダルの狩り)のためには、どんなことでもやる。狩猟は獲物を騙してでも捕らえるものだ。
 冒頭の話に戻せば、「ゆうパック」のやり方は、明らかに狩猟民族的発想ではないか。

12月18日(日)「目指せ年内アクセスカウンター70000超・・・の風さん」
 目覚めてカーテンを開けたら、雪で真っ白だった。
 昨日から雑用を片付けているが、なかなか終わらない。とりあえず終わっている執筆は、「大衆文芸」新年号用の短編原稿だけで、執筆の仕事がわんさと残っている。ところが、身辺が雑多なもので溢れ返っていて、これを少しでも片付けておかないと、効率が上がらないのである。
 とは言え、いい加減、滞っている執筆に着手しなければ、ということで、某社に売り込んだ長編のプロットを書き始めようとしたら、またいつもの悪い癖が出た。調べたくなる癖である。
 そうこうしているうちに、多忙なワイフの代わりに、ガソリンスタンドまで突っ走って、灯油の購入とガソリンの給油をしてこなければならなくなり、1時間ほど外出した。雪が降ってこないうちにと、日が高い時間帯に出かけてきた。・・・待てよ。おいらも多忙だった!
 ところで、M社の欠陥FF式石油温風ヒーターは5万円で引き取ってもらい、別のメーカーのFF式石油温風ヒーターを買うことに決めて、昨日注文したばかりである。工事をともなうので、年内に取り付けが完了するか危ない。それまでちょっと寒い思いをし続けなければならない。
 夕食までに、プロットができなかった(また目標未達!)。
 気分転換に、昨夜アメリカのサイトで手に入れた、Zhang Ziyiのきゃわいい画像を写真プリントした。
 当ホームページのアクセス件数が69000を超えている。人気の高いサイトなら、年内に70000を超えるのだろうが、ちょっと難しそうだ。それでも、70000はキリのいい数字なので、過激な内容も含めてせっせと更新し、カウンターアップを加速させよう。

12月19日(月)「ワイフのためにえんやこら・・・の風さん」
 近所で雪の気配はなかったが、名古屋より北の方ではずいぶんと降雪があったらしい。
 明日はワイフのトール教室の生徒さんたちが集まる。日中なので私は会えない。残念だ・・・そういう話ではない。トール教室は決まった曜日の午前か午後で開催されているため、違った時間帯の生徒同士が交流するチャンスが少ない。それで、以前からワイフに交流会の開催を勧めていた。それがやっと実現するので、私としても、大いに協力しようと前々から考えていた。
 一つには、作成中のワイフのトール教室のホームページをそこそこ他人に見られるようにして、生徒さんたちの共有サイトとして提供しようと思っていた(長い文章だな(^_^;))。
 しかし、超多忙な私は、これまで時間がとれていなかった。それでも、とにかく明日が交流会ということで、午後9時からサンルームにある我が家の共用パソコンに陣取った。
 悪戦苦闘1時間。・・・だめ。どうにも進化させられない。とりあえずサイバー空間にアップしてあるのだが、カッコよくできなかった。・・・で、断念。
 午前零時から書斎に戻って、某出版社へ売り込んでいる長編のプロットに着手したのだが、これもなかなか作業が続かず、中断。
 達成感のない1日だった。

12月20日(火)「1日で消えるコンビニ・・・の風さん」
 やっと朝の冷え込みがゆるんできた気がする。
 ミッシェルで出勤している途中、閉鎖したコンビニの近くを通ったら、大型の重機が建物に襲い掛かっていた。どうやら解体・破壊してしまうらしい。
 交通量の多い交差点にあるコンビニで、場所的にはきわめて有利だと私は以前から睨んでいたのだが、なぜか閉店になってしまった。数年前には日中にもかかわらず強盗が入っていた。だからと言って評判が落ちて客足が遠のいたとも思えない。
 帰宅時にそこを通ったら、建物は跡形もなくなっていた。
 ワイフのトール教室の交流会は盛況だったそうだ。生徒同士が仲良くなってケータイのアドレス交換をしていたという。あ、いちおう生徒さんは皆女性です。
 この日のために家の中がすごくきれいになって、私はそれが一番うれしかった(^_^)。その関係の笑い話もあった。幼児を連れて来た女性がいて、フローリングの上をはいはいして収納ボックスの奥の方へ手を突っ込みそうになったら、その女性(母親)が、「あ、だめだめ、そんなとこひっくり返したら喘息になっちゃう」だって! ホコリがたまっているもんなあ。
 「大衆文芸」の新年号のために書いた短編のゲラが届いた。すぐに読んで修正し、印刷所へファックスを送った。この短編は掲載されるのが楽しみである。あちこちに反響があるような気がするからだ。
 Mさんの自費出版に関するハガキも届いていて、さっそくまた返事を書いた。急ピッチで本を作る作業に入らなければならないようだ。
 そんなこんなで、今夜も長編のプロットができなかった。
 
12月21日(水)「平凡な1日・・・の風さん」
 朝刊に文芸評論家の清水信先生の記事「現場主義第一に半世紀」が、写真入りで出ていた。かつて先生の小説の書き方講座を何年も受けていた。85歳ながら現役。眼も耳も若いときと一緒とあった。眼は速読で鍛えてあり、老眼にならないとおっしゃっていたが、それは若桜木虔さんと同意見である。真似したいが、なかなかむつかしい。若桜木虔さんの速読法は本で学んで知っている。清水信先生の速読法は「V字読み」とのこと。高校時代に図書室の本を全部読破したという。中学教師時代は、毎月送られてくる300冊の同人誌をその手で読破したという。
 1ヶ月に1回、会社の診療所で血圧の経過観察を受けている。それが、ここのところず〜っと正常な値を示している。いちおう弱いながらも薬をもらっている。つまり、かつて投薬を必要とする状態だったのだ。かなりの長期間正常値が維持できているので、医師は「薬、やめてみましょうか」と言い出しているほどだ。とりあえず、私は毎朝1錠の薬を飲むのは億劫ではないし、もし薬をやめてまた高くなったらいやなので、薬をもらい続けている。張り合いのない患者なので(?)、最近は医師も手持ち無沙汰なのか、「花粉症大丈夫ですか」「この間の風邪は治りましたか。喉の薬をもっと出しましょうか」と別の方を心配してくれる。
 帰宅したら、「週刊文春」が届いていた。年間ミステリベストテンが載っている。いちおう私も日本推理作家協会の会員なので、投票依頼がくる。国内、海外ともに投票してあった。
 急いで該当ページを開いてみると、国内、海外ともに大外れ! だめだ。読書量が少なすぎる。
 国内の1位は東野圭吾氏の作品だった。くやしい。
 新しい長編執筆のための参考図書である小説が届いていた。梱包を開いてみると、意外と大作だった。歴史小説でこれだけの分量ということは、かなりの力作のはずだ。読むのが怖い。

12月22日(木)「ドカ雪で、大ボケ、大ドジ・・・の風さん」
 またまた寒波が襲ってきた。
 目覚めて外を見ると白い。有料道路が閉鎖されていたら、会社を休もうと思ったが、通行可だったので、ミッシェルで本社へ出張した。昼前に製作所へ移動しようとする頃から猛烈に雪が降ってきた。
 移動中に道路がとんでもないことになってしまった。ノーマルタイヤのクルマが立ち往生して道路を封鎖したため、大渋滞となっているのだ。ミッシェルもそこに突入してしまい、急遽迂回し、わき道へ避難した。
 ところが、降り続く雪のために、どこもかしこも積雪である。まさか、と思ったのだが、上り坂で停車してしまうと、ミッシェルも登れないのである。FR車なのでお尻を振りながら走るのは仕方ないのだが、前へ進まないのではどうしようもない。とうとう諦めて、バックで元来た道へ戻り、平坦な道だけ選んで走るようにしたが、とうとう製作所へ戻ることができず、郊外の大型店舗の駐車場にミッシェルを置き、スタッドレスタイヤのクルマを持っている同僚に迎えに来てもらった。
 職場では、交通安全のために、部下を帰宅させる指示を出し、今夜の夜勤も中止の決定をした。
 最後に、自分は最寄の駅まで同僚に送ってもらい、電車で帰ることにしたのだが、そこから老人の悲劇は始まった。念のため駅員に電車の運行状況を聞くと、「ダイヤが狂っていますから、来た電車に乗ってください」とのこと。それで、途中まで行く普通に乗車した。乗ったとたんに睡魔が襲ってきた。あと一駅というところまで、記憶があったのだが、次に目覚めた時、ずっと名古屋に近い駅を出発するところだった。電車の進行方向が反対になっていた。つまり、目的地まで行った電車が折り返し運転で、最初に乗った駅も通り越していたのである!
 そこから、特急や急行も停車する駅までもどり、再び自宅のある方向へ行く電車を待ったのだが、再び最初に乗車した駅に戻ってくるまで2時間を要した。2時間で振り出しにもどったのだ。とんだ双六である。
 途中で帰宅の遅い私を心配したワイフから何度もメールが入った。
 「今どこにいるの?」
 恥ずかしくて、とても返信できなかった。
 でも、ようやく帰宅して正直に帰宅経路を説明したら、
 「終点まで行ったわけではないし、反対方向も名古屋を越したわけでもない。第一、酔っていないで、そこまで熟睡するあなたは、やはり人生を懸命に生きている証拠だわ」
 と、なにやら熱い眼差しを向けてきた。
 今夜何かいいことがあるかと期待したいが、就寝が私よりも遅く、起床が私よりも早いワイフである。爆睡している私に福音があるとはとても思えない。

12月23日(金)「大雪の後始末・・・の風さん」
 駅までの道路がまるでスケートリンクだった。すべりにくいブーツを履いていたが、転びそうで怖かった。何とか動いている電車で出勤。途中、車窓から置き去りにされていたミッシェルが見えた。(あとで取りに行くからねー)心の中で叫んだ。
 昨夜乗車した駅で降りて、タクシー乗り場に並んだがタクシーが来ない。ケータイで呼ぼうとしたら、やっと出た人が「運転手が出社してこないので配車できません」と言う。(ばかやろー!)また、同僚に迎えに来てもらった。
 日中は晴れて、道路上の雪が解けてきたし、また今夜から明日にかけて降雪の恐れが高いとのことだったので、同僚にミッシェルを置いたところまで送ってもらい、そのまま帰宅した。
 早く帰宅できたので、これは色々なことが挽回できるぞ、と思ったが、世の中、うまい具合にはいかないものだ。
 ワイフも子供たちもどんどん出かけてしまい、結局、私が留守番となった。こうなると、電話番と駅までの送迎役を一手に引き受けることになる。不足していた睡眠をとることもできない。結局、5回出動した。かかってきた電話はたったの3本で済んだが、代引きの宅急便が来た。約1万円で予定外。現金の持ち合わせがあって、よかった〜。
 夜の11時過ぎから、リビングは戦場となった。子供らのケーキ作りである。どうやらボーイフレンドに上げるつもりらしい。「男はそんなのもらったってうれしかないよ」とうそぶいてみたものの、敵は聞く耳もたず。
 「お父さんは、さっさと寝なさい」
 ふてくされて、ウィスキーをロックで飲んで寝た。

12月24日(土)大雪の後は地震・・・の風さん」
 寝ていたら大きな地震があって目が覚めた(当地は震度3)。私にとって、これは珍しいことである。爆睡していることが普通なので、地震だろうがカミナリだろうが火事だろうが、まず起きることはない自信があった。
 しばらくして時計を見たら、午前11時半だった。そりゃ、もう、起きる時間だぜ。
 爆睡していたのかもしれないが、きっとかなり疲労していたのだろう。老化して弱っているのだ。もう死にかけているのかもしれないな。
 ワイフは午前も午後も自宅トール教室。長女は鯵を三枚におろす練習をしてから(ぜいごを取るときに指を切った)、外出。長男は補習と部活と塾で出かけている。次女も塾に出かけた。
 今日はクリスマスイブらしい。ところが、家にいるのは夫婦だけ。それに気付いたのは昨夜のことで、何も準備ができていない。仕方なく、近所の和食レストランに夕食を食べに行った。和食の店ならカップルの予約で一杯ということはないだろうと思ったからだ。しかも開店の5時に入店したので、すぐ席につけた。ワイフには宮城県の純米酒をグラスで飲ませ、私はノンアルコールビールで喉を湿らせながら工夫した海鮮料理を味わった。食事は短時間で終え、スーパーで買い物をしてから、2匹の猫が待つ家に帰った。
 今夜も遅く帰宅する3人の子供のお迎えは私の役目だ。その間に長編小説のプロットを書き上げるつもりだ。

12月25日(日)「断念・・・の風さん」
 昨日より1時間早く起床した・・・が、既に昼は目前だった。
 リビングに行くと、楠木誠一郎さんの新刊『牛若丸は名探偵』が届いていた。シリーズもので第8作目になるという。すごい。次女が喜んで読んでいる作品だが、最近、受験勉強が忙しく(本当か)読めていないようだ。
 今日もワイフは午前がトール教室で、午後から買い物、そして夕方から近所で開催されるクリスマスパーティに出かけるので、また私が留守番とアッシー君である。その間にプロット作成の続きをしなければならなかった。
 しっかり夫の役割と父親の役割をこなして(そうそう次女が英語の問題を聞きに来たな)、そうして1日が過ぎたが、プロットは今日も完成しなかった。やりながらプロットの重要性だけは分かってきた。とはいえ、年内にプロット提出は断念した。
 最近家族ネタが多いせいか、ホームページのアクセスカウンターがちっとも上昇しない。年内に7万の大台に乗せるのも断念した。
 M社の欠陥石油温風ヒーターは、結局、5万円で回収してもらい、別のメーカーの製品で更新することにした。どうやらこういう判断をしたケースが多いらしく、年内工事は無理とのこと。それまでヒーターは停止状態。ショップから借りた代替品とエアコンで暖をとっている。これは「断念」ではないな。

12月26日(月)「家から閉め出されたファミリー・・・の風さん」
 電車を乗り継いで片道5時間かかるところへ出張だった。こういうときは読書タイムにしようと本を持参で出かけるのだが、身体が揺れ出すと猛烈な睡魔が襲ってきて、すぐに爆睡状態になることが多い。人は老化すると赤ん坊に戻るので、ある意味仕方のないことだが、プロの作家としては、1分1秒といえど無駄にしてはいけない(いちおう掛け声だけは)。
 ま、何とか帰宅までに200ページは読めた。やれやれ。
 帰宅が近付くと、最寄の駅まで迎えに来てもらうので、ワイフにケータイからメールする。今日は、ワイフから先にメールがあった。用事で実家へ帰っていたのだ。
 「忘れて鍵を持たないで出かけたので家に入れない」
 そういう内容だった。最後に鍵をかけて家を出たのが長男で、その鍵を持って出かけたので(つまり某所へ隠さずに出かけたので)、鍵を持たない者は家に入れないわけだ。
 最初に帰宅したのがワイフだった。幸か不幸かトール教室をしている庭のログキャビンが開いていて、そこに入って(鍵を持つ)家族の帰りを待つことになった。それが夕方6時前。
 次に帰宅したのが次女だった。午後8時頃。鍵は持っていない。
 その次に帰宅したのが長男で、午後9時45分頃。これで、ようやく家に入れた。留守番の2匹の猫が寒くて震えていたらしい。
 私の帰宅は10時過ぎ。長女は11時近かった。
 何という家族!

12月28日(水)「韓国映画で勉強・・・の風さん」
 今朝は本社に出張予定だった。もし雪が降っていると電車通勤となるため、昨夜は早めに就寝して、今朝は通常よりも30分以上早く目覚ましをセットしてあった。その目覚ましがジャリジャリ鳴って、しっかり目が覚めた。カーテンの向こうが少し明るかったので、期待して外を確認したら、東の空が赤く燃えていた。
 そうして、冬期連休前最終日は、目の回る忙しさで暮れた。ついでに残業もしたが、身辺はちっとも片付かなかった。来年に持ち越し。
 ミッシェルでのんびり走って帰宅。夕食後、ワイフが借りてきた韓国映画のDVD「イルマーレ」を観た。
 面白かった! 1998年に生きる男と2000年に生きる女のラブロマンス。しっかり2年間を生きた男が2000年の女のところに現れてハッピーエンド。荒唐無稽な設定だが、テーマは真実の愛だから納得。こういった発想は、ぜひ自分の作品に生かしたい。いや、生かさねばならぬ。
 疲れたので、今夜はしっかり休んで明日から執筆に精を出そう。

12月29日(木)「人生最大の仕事とは・・・の風さん」
 冬期連休がスタートした。やることはてんこ盛り。焦っても仕方ないので、着実にこなしていこう。
 某社売り込み用のプロットが未完成だったので、それに注力した。まだまだだな。
 夜になって、塾通いの次女と長男が相次いで帰宅した。冬期集中講座で、デッサンをやっている。受験戦争時代を生きてきた私からすれば羨ましい限りだ。普通の教科の勉強よりも絵の勉強を望んでいて、親である私は喜んでそれをやらせている。自分だってそういう環境だったら、絵か音楽をやりたかった。ま、自分の人生はやり直すわけにはいかないから、現在のサラリーマンをやりながら何とかまともな小説を書きたいという生き方を懸命にやっていくしかない。その点、子供らにはまだまだ無限の可能性があるわけだから、好きなようにそれを探っていけばいい。親としては、不安な子供たちに「無限の可能性」を教えていくしかない。
 長男と次女のデッサンの品評会となった。それなりのレベルの中で、良い点を指摘してやり、問題点と思われることについて感想を述べた。長男には、わざと素材の材質を次々に質問してやり、それらを意識せずに写生していたことを気付かせた。次女には、すぐにインターネットから国立博物館にある渡辺崋山の「鷹見泉石像」を見せてやり、これがなぜ国宝となっているかを教えた。
 こういう会話が出来る日が来るとは予想もしていなかった。ある詩人が言っていた。どんなに大きな仕事をした人でも、振り返ってみたとき、自分の人生で最大の仕事は子孫を残したことを超えるものはない、と。そうかもしれない。また、そう思えたとき、本当に自分の人生は少なくとも意味があったと言えるのかもしれない。

12月30日(金)「サーキットの狼・・・の風さん」
 ワイフが知人からLido MIHAMA CIRCUITの無料走行券をもらってあったので、有効期限ギリギリの今日、走りに行った。まさかこんな近くにサーキットがあるとは知らなかった。それもそのはずで、昔は乗馬ができる牧場だったが、倒産したか何かで、いつのまにかアマチュアのためのサーキット場になっていたのだ。
 こんな寒い時期にサーキットでもあるまいとワイフと出かけたのに、着いてびっくり、大勢の客が来ている。駐車場には速そうなクルマばかり。
 「ロードスター(ミッシェルのこと)で来て良かったね」
 と早速ワイフがひと言。
 空は青天で気持ちいい冬の一日だが、やはり風は冷たい。それでも、サーキットの横に立ってすぐに寒さを忘れた。エギゾーストノートもすさまじく、次々に車が飛び出して行った。1クール20分のフリー走行である。1周1200mのヘアピンだらけの難コースだ。最小Rは11(半径11mという意味)。それでもホームストレッチ250mではトップスピードが100km/Hを超えているのではなかろうか。そこからフルブレーキをかけつつヒールアンドトウで2速あたりにシフトダウンしてR13のコーナーを加速しながら駆け上がる。昔乗っていたレビンが見事なハンドルさばきで走り抜けていった。
 今日見ていた限りでは、速い人は50秒そこそこのラップをたたき出していたが、コースレコードはランエボ8で45秒を切っていた。それだけの速度で、テクニックにばらつきのあるクルマの中をかいくぐり、よく事故が起きないものだ、と感心する。
 ・・・と、生意気なことを言っているが、今日、私が走るのはレンタルカートである。このレンタルカート、シャーシーはイタリア製で、エンジンはホンダの270ccだ。本格的なゴーカートを運転するのは生まれて初めて。
 他人の走りを見ていると、全長700mのコースを、速い人で37秒台が出ていた。私はどこまでそこに近づけるか。ヘルメットとグローブを借りて、簡単な説明を聞いてからいざ乗車。まるで100m競争のスタートラインに立つような興奮を覚えた(心臓がどきどき)。
 レンタルカートは、1クールが4分で、およそ5〜6周のラップがとれる。
 「カーブではアクセルを踏んで加速した方がいいですよ」
 オーナーらしきナイスミドルがアドバイスしてくれた。
 1周目50.200秒、2周目43.684秒、3周目43.136秒、4周目は他のカートに抜かれるなどして遅れ46.578秒となったが、5周目にはベストの41.417秒だった。ちなみにコースレコードは、34.903秒というから凄い。確かに、ヘアピンを曲がる時にハンドルが重くてどうにも外へ振られてしまう。そこを腕力で内側へ車体を突っ込み、アクセルを踏み込みながらコーナーの最外周をたどって加速して直線に出る走りをしなければならないようだ。
それに気付くには1回の走行では無理だった。
 続いて、ワイフを横に乗せて、二人乗りに挑んだ。他人の走りを見ていると、速い人で50秒程度だった。
 「思いっきり走るから、悲鳴を上げるなよ」
 1周目50.851秒。どうにも車体が重く感じられ、フルスロットルにしてもまるで加速感がない(笑)。そりゃそうだ。他の二人乗りは、みな大人と子供の組み合わせだ。こちとら、年齢だって体重だって、二人合わせて100を超えている・・・はずはないか(冷や汗)。2周目は、・・・
 「おい! 49.285だって! 50秒切ったぞ」
 スピードが遅いので、話はできるし、左右に首を振って後続に抜かれないかチェックもできる。
 3周目48.562秒、4周目はさらに短縮して48.097秒。
 「おい! 怖くないか?」
 「・・・」
 ラストは47.231秒とベストが出た。二人乗りのコースレコードは知らない。
 カートから降りたら、背中は痛いし、腕は疲れているし、足腰はフラフラ。ヘルメットを脱いだら汗びっしょりだった。
 「ずいぶん静かだったな」
 「悲鳴を上げたら恥ずかしいでしょ?」
 どうやらワイフはゴーカートよりジェットコースターの方が興奮するらしい。
 いつか自分のクルマでサーキットを爆走してみたい(ちなみにオープンカーのミッシェルにはロールバーが装備されていないので、サーキット走行は許可されません)。

12月31日(土)「大晦日の夜に掃除をしている風さんの巻」
 休みに入って3日目。起床時間が1時間ずつ早くなっている。今年最後の日なので、やりたいことを少しでもこなしておきたい。
 夕方まではプロットの続きをやった。遅々として進まない。この分だと、連休明けにギリギリできるのかもしれない。本当は、プロットに従ってラフ原稿を入力するつもりだったのに・・・(涙)。
 外がすっかり暗くなってから、ようやく書斎の整理を始めた。何とか机の上だけでも整理しようと始めたのだが、ゴミ出しすらできなかった。想定していた時間が来たので、ナイショだが、寝室の掃除をした。寝るだけの空間になっているので、日ごろ整理ができていない。しかし、大晦日の夜に(世間では紅白歌合戦を見ている家庭も多いだろうに)寝室の掃除をしている亭主もいるのだ、ここに。これも想定していた時間が来てしまったので、そこまで。
 リビングに降りて行ったら、テレビで紅白歌合戦をやっていた・・・が、見ているのはワイフと次女だけ。私はサンルームに入って、ワイフのトール教室のホームページ作りの続きをやった。昨年やりたかったことだ。とりあえずのページはアップしてあるが、もう少しまともにしないと紹介できない。
 カウントダウンが終わって新年が明けた。父が亡くなった年が明けたわけだ。きっと良い年がやってきたに違いない。テレビでは歌番組が始まっていた。倖田來未が出ていた。
 「倖田來未じゃないか!?」
 と私が言ったら、ワイフと次女が意外そうな顔をして振り返った。
 「あれ? よく知っているわね」
 「ブリトニースピアーズみたいな歌手だろう」
 「そうそう」(次女)
 「???」(ワイフ)
 私は少し鼻が高かったが、何のことはない、倖田來未を知ったのは昨日のことだ。
 その後、久しぶりにビデオで「タイタニック」を観始めた。ただし、途中まで。こういう途中までというのが多いのが昨年だったから、新年は「やり切る」「貫徹」「達成」をキーワードにしよう。

06年1月はここ

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